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10月のある日 日光市今市消防署から「新車(ハシゴ車)を
購入したので、ホテルを使って慣らし運転をしたいので協力を!」
という連絡が入り了承した。

11時頃ということだったが、流石(さすが)時間厳守ですねェ。
11時ぴったりにそのハシゴ車が到着しました。

そばで見るとデカイものですね。
購入価格 1億9千万円ですと 
ハシゴの高さ 35m

乗用車やマイクロバスの新車は商売柄 何度も見ていますが
こんな特殊車輌の新車は見ることは、なかなかないですよね。

消防の人達もそうなんですよ。耐用年数が30年ということですから
本日見た車の次の購入は30年後ということになります。
そりゃチャンスはないですよね。

当社は鬼怒川の川の方からみると、11階建て。
正面玄関からは9階建の建物です。

ハシゴはスルスルッと伸びました。動きはスムーズです。
9階をはるかに越えて伸びてゆきます。
35mというのは普通のビル高でいうと、21階だそうです。

署長が儀礼でしょうが「社長 一緒にハシゴに乗りましょう」と言ってくれました。
即 お断りしました。高所恐怖症という程ではありませんが
イヤなのですよ。社員がたくさん見ていますからね。
万 万が一にでもチビッてごらんなさい ということで見ているだけにしました。

しかし思いました。
こんな車のお世話になることのない様に気を引き締めて 引き締めて
商売をしようじゃないか なァ みんな

消防車

【犬蓼(いぬたで)】の巻
ホテル周辺の路傍に咲く、タデ科の一年草。
高さ30cm内外、夏 茎上に約5cmの穂状花序を出し紅色の小花を蜜につける と辞書。

花7

「蓼(たで)食う虫も好き好き」の蓼がこの花かと思ったら識者いわく
例え話のこの場合の蓼はタデ科タデ属に属する総称であり
これがそれだというものではないとのことでした。

「溝蕎麦(みぞそば)」
ホテル周辺どこにでも咲いている。
タデ科の1年草、田の畔(あぜ)小川の岸 等に生える。

flower_003.jpg


「水引草」
ホテル周辺どこでも見られる。
タデ科の多年草。高さ70cm 枝頂から細長い花序が出て赤または白の小花をつける。

flower_008.jpg



「蕎麦の花」
タデ科の1年草作物。花は白色小型で初秋に咲く ホテル周辺にたくさん見られるが
これを集めてもそばは食べられない。

flower_009.jpg


やはりそばを食べようと思ったら、そば屋に行かないとね。

ところでそばを漢字で「蕎麦」と書く。
だが「蕎」はひと文字で「そ」と辞書では引けない。
同様に「麦」は「ば」とは読まない。
二文字を合わせてやっと「蕎麦」とはこりゃいかに。


ところでもうひとつ   赤いそばの花があるのだそうです。
世の中広いですねェ。

フロント課 車輌に属する入社2年目 30才 津谷寛(ひろし)が
チャリンコ スーパーマンであります。(写真)

彼は毎日 自転車で通勤をしております。
自転車といってもイオンの自転車売場で、下から二番目位の値段の
折りたたみ自転車であります。
しかもタイヤの小さなタイプです。

bicycle_002.jpg


おどろいたことに、このごく普通のマイカーで かの「いろは坂」を
登り竜頭の滝まで行って無事 帰ってきたのであります。
スタートは鬼怒川温泉街にある、当社の寮です。

さて、このブログの読者は栃木の方々ばかりではないので「いろは坂」
のことをちょっと・・・。

いろは坂は奥日光の玄関口にあたる道路で、道は険しく昔は途中から
馬を引き返させた馬返し(うまがえし)という難所があったりの大変な
坂道です。整備された現在でも険しいということに変りありません。

「第2 いろは坂」が上り専用。カーブが20ヶ所。
日光から第2に入った一番目のカーブが「い」、二番目が「ろ」となり
20番目が「ね」となります。
下りすなわち中禅寺湖から日光に至る下りが「第一いろは坂」で
最初のカーブが「な」、ここから下り勾配がきつくなり、12%位の坂道となる。

だんだんカーブがきつくなり、ブレーキの効かない車は即 あの世に
楽に行きたい人にはうってつけのコースであります。

一番最後の48番目のカーブが「ん」 平均曲線半径15m
最も険しい勾配が14% といった道路です。
自転車で行き来する愛好者はたくさん居りますが、イオン(ジャスコ)
で買う様な自転車の人はまず、おりません。

自転車の愛好者は競輪の選手の様な服装からまず入ります。
ヘルメットをかぶり、身体にぴったりの服装 etc
彼らの自転車には走行キロ・速度計・高低計 etcいろいろ高価な
付加商品がついておりますが、津谷のマイカーについているのは
ブレーキだけ。いたってシンプルなマイカーでります。

自転車に乗る彼のスタイルは「ホテルマンはいつでもホテルマンたれ」
という私の教えでスーツにネクタイ スタイルであります。

bicycle_001.jpg


★7月5日 鬼怒川をスタートし「いろは坂」「明智平」「中禅寺湖」
      「竜頭の滝」 
      往復およそ150〜180km 高低差 870m  完走

★9月26日 鬼怒川・日塩もみじライン(日塩とは日光・塩原の略)
       那須・黒磯 
       往復およそ 140km  完走
 
★10月21日 鬼怒川・霧降の滝・栗山東照宮・五十里湖
        往復およそ 140km  完走
 
どうして彼を紹介したかって言いますと、これを読んでお嫁さんに来て
くれる女性がいないかな と願いつつなのです。
見ての通り頑健、貯金と自転車が趣味の秋田出身者です。

チャリンコ スーパーマン頑張れ。会社として応援は出来ないが
いつも無事で帰って来い。  

いろいろな社員が居て楽しいですね。
       

【いぬサフラン】の巻
犬サフランとも書く。
社員の家の庭に咲く、コルチカムとも言う。

ユリ科の多年草、ヨーロッパ原産、薬用、鑑賞用として栽培。
「春」広線形の葉を3〜5枚出し葉が枯れたのち、径10cmの
淡紅色の6弁花を数個開く と辞書にある。

flower_006.jpg


「春」という字が気になり、識者に『この花は春に咲くのではないか?』と質問。
識者いわく、鬼怒川は丘陵(きゅうりょう)地帯でもなく、山岳地帯
とも言えぬ複雑な土地なので風通し、陽当り等の都合で「狂い咲き」
ということがよくあり、現にこの季節つつじが咲いていますよとのこと。
あわてて見に行くとありました。

本日10月3日 ホテル前の道路ワキに写真の様につつじが咲いて
おりました。

花20



識者とはもちろん我が社の予約課の女子社員であります。
「狂い咲き」  花の世界だけの言葉と思いたいが・・・。 それでかァ〜
バツイチ、バツニが多いのが分った様な・・・。失礼 失礼!

現在 東京23区を走っているタクシーの台数をご存知ですか。
4万台が走っているそうです。

先日 帰京した時、いつもの様に中央線 阿佐ヶ谷駅で降り
タクシーに乗ろうとしました。
この時、いつかは乗りたいと思っていた初乗り600円のタクシーに
当ったのです。文字通り当った感じでした。

普通のタクシー料金は初乗りが660円であります。
この600円タクシーは都内に10台しか走っていないとのこと。
つまり4万台の中の10台しかないタクシーに乗り合わせたのですよ。

50円が安いとか高いとかの問題ではないのです。
600円タクシーに乗れたことがラッキーなのですよ。

良い気分で帰りました。家の前で写真も撮りました。
家内が「ツイていたわね!何か良いことがあるかもね
私も他に何か良いことがあるかなって思っていましたが、それだけで
何ごともない一日でした。

このあと、12月頃に現在 初乗り660円が初乗り710円になる様ですね。

600円タクシーはどこに行ってしまうのでしょうか。

政治がわるいのですよ。政治が・・・。


タクシー600円

【ヤブラン】の巻
藪蘭と書く。ホテル前庭に咲く花で写真の様に背は30cm位
紫色の小さな花がたくさんくっついている感じ。

辞書には・・・
ユリ科の常緑多年草、山林中に生える。
葉は根生し、線形で質(しつ)が厚い。淡紫色の小六弁花が多数つく。
乾燥した根を漢方で「「麦門冬」(ばくもんとう)と称し薬用とする
とある。

そういえば私が季節の変り目にのどがイガイガする時に飲む薬に
そんな名があったなァと思いつつ、薬箱をみるとありましたよ。

bakumon.jpg


ホテルの庭に漢方薬の原料があるとは思いませんでした。

花5

知らない食べ物ってホントにたくさんありますねェ。
菱(ひし)という食物(しょくもつ)植物(しょくぶつ)を初めて知りました。
当社の社員の娘さんが務める公設市場のある日の商品に「ひし」が持ち込まれた。
市場でも珍しいものなので、私に見せてくれた。

商品名は片仮名で「ヒシ」 天然の健康食品とある。
更に水郷クリークに咲く花形をしていて古来、日本・中国・朝鮮・東南アジアに分布。

現在筑後、佐賀のクリークの一部に産出されるとあり、いわゆる絶滅種かもしれませんね。
水面に7月〜9月白色の花が咲き、9月〜11月に薄紅色の実をつける。
果実は食用にし昔から解毒病(胃ガン)二日酔に用いた。
アイヌ族ではペカンベと呼び解毒婦人病として用いた と説明書にあります。

割って白いところを食べるのですよ。
そんなにうまいものではなかった。九州の人はうまいと言う。
私が興味をもったのは「食い物」としての「ヒシ」ではなく「菱」という文字であった。

菱2

大辞林にはこうあります。「菱」
紋所(もんどころ)の名、『菱型を組み合わせて図案化したもの』とあり、この部分が気に入りました。
まさに食物の「ヒシ形」なのですね。

三蓋菱(三階菱) 武田菱
割菱(わりびし)一般的には武田菱がそうであるとのこと。
「菱」という文字の下半分は食物の格好そのものですよね。

菱3

写真をもう一度見て下さい。
三ッ 重ねて写しましたが「三蓋菱(さんがいびし)」の原形になるのですよ。 

「菱」の原点を見つけた!という感じです。そう見えますがいかがですか。


9月のある日 孫を連れて、鬼怒川の観光名物のひとつ鬼怒川ライン下り に行ってきた。
初体験だった。

とても暑い日だったが、川面の風は肌にやさしく思っていた以上の心地良さだった。

“ライン下りの面白さは船頭次第”とよく言われる。
現在24人のあらくれ(?)船頭さん達が居るのだが、そこに24才のおんな船頭さんが
入社し、船頭職を許されたという。

10月15日の週がデビューであります。
24人の船頭さんが6キロの航路を一日12便 運行している。
5年ぶりのおんな船頭 ってことは、前にもいたのでしょうね。

運営会社によると過去に6人働いていたことがあるという。
今回の船頭さんは河村真由美さんという美人だそうだ!
春先から船頭になる為の訓練をつんできたとのこと。
秋の観光シーズンに間に合って良かったですね。

是非お客様によろこんでもらえる「おんな船頭さん」に育ってほしいですよ。
応援していますよ。

なお、ライン下りの前売乗船券はフロントでお買い求めいただけます。

大人 2300円
小人 1000円
これはおすゝめです。 

ライン下り

【大文字草】の巻
この花も購買課の女子社員の家の庭に咲く。
写真で見られる様に花は五弁で、うち二個がほかより大きく長く育ち
「大」の字になってくるのです。

P1000427.jpg
     ↑ ↑
当社々員 「名人 五十嵐」の寄せ植え

文字通りの大文字草なのですが、この花の不思議というか謎めいた
ところがここですよ。
花びらというのは、どれもが大体均一の大きさなのに、どうしてでしょうね。
花の大きさは2cm以下「小っちゃな大の字」です。

辞書によると、ユキノシタの多年草・・・山中の湿った岩などに生える。
葉は掌状(しょうじょう)で根生(こんせい)し、柄が長く円形
30cmの花茎を立て白色の小花を円すい花序につける とあります。

盆栽風にして楽しむのが、このあたりでは一般的な様ですよ。



いよいよ秋の草花が出そろう時期になりました。
そこでホテルの敷地内、近くの畑、あるいは社員の家の庭に咲く鬼怒川の
草花をシリーズでお見せしようと思います。

今日は 『ほととぎす そう』 の巻
杜鵑草・油点草・郭公花 という漢字で書く様です。

写真の白と紫はホテルの敷地内に咲きますが「これですよ」って言われ
ないと素人(しろうと)にはなかなか気がつきません。

花2

白い花は購買課に勤める若い女子社員の家の庭に咲いているもので
ちょいと珍しいとのこと。
彼女の自慢は私の自慢でもあります。

ほととぎす草は辞書によると・・・
ユリ科の多年草、丘稜や低山の湿ったところに生えるとある。
高さ60cm 葉は互生(ごせい)し、狭長楕円(きょうちょうだえん)形で
基部は茎をだく、秋になると葉液に白色で斑点(はんてん)のある花を
1〜3個つける とあります。

因みに“互生(ごせい)とは互いに方向を異にしていることを言う”
のだそうです。
花の大きさは2〜3cmでとにかく「可愛い」ですよ。

次回は大文字草です。

9月末 渋谷オーチャードホールで「スペイン国立バレエ団」の
フラメンコ・バレエを見てきた。

ボレロ4

フラメンコを生(なま)で見るのは3回目。
1回目は30年位前 東京、新宿の「エル・フラメンコ」で。
2回目はヨーロッパをひとり旅をした時、スペイン・マドリードの街中のフラメンコを
見せるレストランで、この時踊り子のひとりが出番の直前、日本人の私を見つけて
『私、新宿に居たよ!』って声をかけてきた。 「エル・フラメンコ」に出演していたのだろう。

国立バレエ団のダイナミックな踊りには、ただ ただ おどろきの連続であった。
プログラムの目玉はラベルの「ボレロ」であった。
開演と同時におなじみの「ボレロ」が耳に飛びこんで来た。
私は「ボレロ」はフィナーレにもってくるだろうと勝手に思い込んでいたのでビックリした。

ボレロ1


男女30人近くのフラメンコダンサーの群舞(ぐんぶ)。
もちろんこれを見たくて来たのだが、言葉の使い方は不適当と分かっているが
総毛立(そうけ)だった。

家内とオペラグラスを取り合ってひとり ひとりの顔を見た。
綺麗だ!表情に身震い!!
フラメンコのファンでなくとも、これを見たらファンになるだろう。

20分の休憩後
フラメンコを見せる劇場、レストランの定番である個人技といって良い
踊りとフラメンコギターと歌の競演が始まる。
「ジプシーキング」が世に出て来た時、その悪声におどろいたものだが
今ではこれがフラメンコの声としてインプットされている。
「ラ・ジェンダ」「グリート」そして日本初演の「ゴルペス・ダ・ラ・ヴィダ」といった曲で終った。

ボレロ2


今までフランクシナトラ、サミーディビスJr、サンタナ等大ホールで
見てきたが、今回のカーテンコールは凄かった。
10分 いや15分 拍手が鳴り止まず・・こんなの初めてだ。

それにしても、ラヴェル(Maurice RAVEL 1875〜1937)のボレロはいつ聞いても良いですね。
同じメロディーがくり返し続く特異な曲です。

そういえばジャンルは違いますが、マンボの王様といわれたペレス・プラドの曲に
「ラ・コンパルサ」というのがあります。同じメロディーのくり返しの曲です。
カーニバルの行列が遠くから来て、遠ざかって行く風景を曲にした
ものですが、一度お聞かせしたいですねェ。

ボレロ3



ところで次の何かの公演までに、オペラグラスをもうひとつ買わなきやぁ。

≪御神体の謎≫
栗山村野門(のかど)に移された神君家康公の御神体はその後
野門の人々によって大事に守られています。

栗山村は平成18年の日光市と周辺市の合併前は日本で一番広い面積を持つ『村』であった。
人口は2000人位(当社々員の家族を含む)旧住所は栃木県塩谷郡栗山村といった。

そして「ご案内」板(写真)には下記の言葉があります。

【栗山東照宮】
平家落人の伝説が語り継がれる栗山村で「家康の里」を名乗る
ここ野門集落は、徳川三代将軍「家光公」の時代に「野門村」として
日光御神領に編入された。

慶応四年(一八六七年)に起ったいわゆる戊辰戦争の折には会津方の兵士として
集落の働き手が徴用され日光と野門村とを隔てる
富士見峠近くの若狭河原の戦いに二名の死傷者を出している。

混乱していたこの時期、会津方は日光東照宮境内に数ある宿坊の中でも由緒ある宿坊に
祀ってあったと思われる「男体山三社神体」と「徳川家康公の御神体」を密かに捧持し
富士見峠を越えて僻遠の地野門村に住む「小栗久右衛門」に「肥後守」(会津城主松平容保)の
命による左記のお墨付きとともに象牙の白笏を授けて「守護職」を命じた。

この事実を広く世に伝えんと昭和四十五年十月地元奉賛会が中心となり「栗山東照宮」を建立。
一般崇敬者の拝礼の対象としたものであります。

        記

     戊辰元年 八月

文言の最後に戊辰元年8月とあります。

栗山東照宮3


しかしこれが事変の終りだとしたら御神体は今だに野門(のかど)に
在るまゝということになるのですよ。
栗山村在住の我が社の社員の家族にその後のことを近所で聞いて
もらいましたが、御神体を日光東照宮にお返した記録もないし
行事もないとのこと。不思議ですねェ。

祠の中に御神体はあるのでしょうか・・・ないのでしょうか。

今日はここまで!

栗山東照宮 葵紋

写真をよーく見ていただきたい。
「 こだま 626号 岡山止 」 と書いてあります。

電光掲示板


サテ 何と読むのでしょうか・・・と思っているとアナウンスがありました。

3番線に入る電車は 『 岡山ドメです。ご乗車になれません 』 だって。
オイ オイ 「 岡山ドメ 」 って言葉があるのかい?

東京へ戻り、JR東日本に聞きました。
例えば中央線の中野駅を終点とする電車の案内は何とアナウンスをするのかって?
返事は、次の電車は 『 当駅どまりです。ご乗車になれません 』 でした。
JR東日本が正しいと思うが、どうだろう。
確かに局留(きょくどめ)という言葉はあるにはあるが、この場合の
「 どめ 」 は 「 留め 」 で 「 止め 」 ではない。

私の乗ったのぞみは新神戸駅に着いた。アナウンスがあった。
「 三の宮に行く地下鉄は地下の地下鉄駅からご乗車下さい 」だって???
東京の渋谷には浅草行きの地下鉄がデパートの3階から発着するのが
あるにはあるが・・・。

そこで本日は 「 ドメ 」 なのか 「 どまり 」 なのかを、岡山の文筆業の
プロであります(株)瀬戸内海経済レポートの編集長 猪木正美氏に
お聞きしたいと考えました。

猪木氏とはこの春頃から、ご交誼(こうぎ)を結んでおりまして
岡山のことなら何でもご相談させていただいている方です。

「 ドメ 」 は岡山の言葉なのか、新幹線用語なのか。
はたまた日本は広いから西日本では、こういった言葉が普通なのか
是非お聞かせ下さいませ。

忙しいのにすみません。 

政府軍、東山道軍参謀、土佐大隊司令の板垣退助は幕府軍がこもる宇都宮城を
二度にわたる総攻撃で慶応4年4月 陥落させました。
その宇都宮戦の敗残兵 約2000名を引き連れた大鳥圭介は「日光東照宮」に篭城します。
板垣退助は再三日光に篭城(ろうじょう)する会津幕府軍の撤退をうながすべく
説得工作をします。

大鳥圭介はもともと徳川慶喜と一緒に京都から江戸へ帰ったあと、日光山内の南照院に
隠れていた旧幕府軍 筆頭老中、板倉勝静に会って「殿を首領(しゅりょう)とし
日光東照宮を護持し、関八州(私のブログ6月18日で前述)に激(げき)を飛ばしたい」
と申し入れるのです。

しかし、もともと戦さが嫌いだった板倉勝静は撤退の工作にのりかゝっていたので
「いたずらに兵を動かし神君家康の廟前(びょうぜん)を血で汚すことは忠誠とは言えまい。
すみやかに日光を退去せよ」と逆に大鳥圭介を説得したのです。

ところが、その日の朝早く、神君家康の御神体は別当大楽院貞侃(ていかん)と言う者の
指図で六方沢(ろっぽうざわ)を越え栗山村野門(くりやまむら のかど)に移されたと
伝えられています。

この栗山村からは当ホテルの社員が通って来ます。
つまり通勤出来る距離なのです。歴史が身近ですねェ。

日光東照宮は板垣退助のおかげで戦火をのがれることが出来たという訳です。
その功績をたたえて顕彰したものが、写真の板垣退助像であります。
神橋(しんきょう)の手前に堂々と鎮座しておりますよ。
しかも近年は世界遺産にも指定されました。
日光なくして鬼怒川温泉もなかったろう思いますね。

板垣退助
  ↑↑ 板垣退助


一方 別当大楽院定侃(ていかん)の指図で六方沢(ろっぽうざわ)
越えをした神君家康公の御神体は栗山野門に移され、写真の様な立派な
祠(ほこら)におさまって現在もあります。

この写真は経理の女子社員のお父さんが娘・孫を連れて撮ってきてくれたものです。

栗山東照宮

祠のある野門はいわゆる観光スポットではありません。
車一台がやっと通れる山道を行きますので、行くことはおすゝめできませんねェ。

今日はここまで!

次回は「栗山東照宮」という不思議なところをご紹介します。