JRの駅名が今市 東武電車が下今市駅この二つの駅は600m位離れている。
利用者とすればどうして合同でひとつの駅にしなかったのかと毎度毎度思う。
二宮金次郎 終焉の地 今市から現在の国道121号線に入るこれがまさに会津西街道の
始まりなのです。

121号線に沿って東武線大桑駅を渡ってしばらく行くと121号線と表示はあるが
日光街道の名残りというべき杉並木公園がある。
公園内には先の大戦の慰霊碑が並んでいる。すゝむと121号線(西街道)にもどる。
やがて新高徳駅、小佐越駅が街道の左に見えかくれする。
街道の左側を鬼怒川が流れているが鬼怒川を挟んで右が旧日光御領地、
左が旧宇都宮藩領であったそうだ。
その当時の言い方をすると日光領地に日光江戸村があり宇都宮領地に
東武ワールドスクウェアが陣取っているということです。
因みに川の右岸・左岸とは上流から下流をみて言うのです。
日光領地を佐賀藩400名 宇都宮藩400名の計800名 プラス佐賀藩
家老鍋島鷹之助(たかのすけ)隊500名 合計1300名の新政府軍
そして迎え撃つ大島圭介指揮する会津、幕府連合軍500名
丸山山頂の山川大蔵ひきいる会津軍400名 合計900名が戦いました。
決戦の場は現在の鬼怒川公園駅の200m程上にあがったところであります。
ながい会津西街道の歴史の上で唯一の戦場が当ホテルから1km先に
あるのです。
その前にちょっとひと言。
平成18年(2006年)の3月の平成の大事業といわれた市町村合併でありますが
市町村合併以前は「鬼怒川温泉」という名は地番になかったのです。
この温泉一帯を藤原町と言いました。
因みに我が社は栃木県塩谷郡藤原町藤原1−1
私が当ホテルを引き受けた時の違和感は今でもおぼえています。
なにしろ住所に鬼怒川温泉という文字がないのですから。
合併後 歴史上初めて住所地番に「鬼怒川温泉」という文字が載るのです。
現在は栃木県日光市鬼怒川温泉藤原1番地1 になったのです。

日光市藤原総合支所(役場)にあるプレートに海抜393mとあります。
日光市は人口約10万人 その面積は栃木県の4分の1
日本でも3番目に大きな面積をもつ市であります。
合併前の栗山村は当時 日本で一番広い面積を持つ村でありました。
しかも日光東照宮のご領地であったのですよ。
次はいよいよ戦場の場面です。