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出来のわるい政府を持ったものですなァ〜。

ところで皆様は日本も産油国なのをご存知ですよね?  越後の国がそうです。
現在の新潟県であります。新潟県は日本海にある。

ひと昔前は、これを裏日本と呼んでいました。
差別的であるとのことで、現在は日本海側ということになりました。
なぜ裏日本と呼ばれたのか・・・・・。
それは日本の首都 東京が太平洋側に在り、日本が東アジアの国々よりも
アメリカとの関係を重くみたからでしょう。

しかし、古代にはアメリカ合衆国などという国はなかったのですぞ!
あの国はたかだか100年ちょいしか歴史のない国ですからね。

当時は日本の文化の流れは中国から朝鮮半島を経てのルートであったことを
考えれば日本海側がむしろ「表日本」と呼ばれてしかるべきだった
と富山に赴任していた時(宇奈月ニューオータニ)はそう思いました。

さて、石油の話ですが・・・30年前のことです。
私が総支配人を務め現在当社の並木総支配人が湯沢ニューオータニホテルの
支配人時代に正月になると出光石油・日本石油 等の石油会社の役員が
湯沢ニューオータニに宿泊されるのです。

ひとりやふたり ということではなく、一社 3〜4人はお泊りでした。
スキーに来た様子でもなく、何故だろうと思っておりました。

事情が分りおどろきました。
彼等は正月そろって新潟県の弥彦神社に初詣に行く為に泊っていたのです。
では何故 遠い弥彦神社まで行くのでしょうか?
弥彦神社と毎日新聞新潟支局発行の資料から紹介します。 


『石油業界の弥彦神社信仰』    “弥彦神社と石油業界の関わり”
石油が日本の歴史に登場するのは、天智7年(668年) 近江大津宮に
「越の国 燃ゆる土と燃ゆる水とをたてまつる」 (日本書記)とある。
石炭を燃える土、原油を「燃える水」 と呼んでいた。

明治6年(1873年) 現 出雲崎町で最初の掘削が行われ、年々 増産した。
その後、日本石油・宝田石油 等が設立された。

関係者は石油を掘るにあたり先ず弥彦神社に祈念し、その成功と安全を願った。
その結果 弥彦神社は石油の守護神となった。

戦後 海外での石油事業を始める時でも、例外なく第一に弥彦神社に参拝して
祈願する 等  現代にも大きな信仰を集めている。

現実に新潟港の沖合では発掘が続いています。
ですから日本も立派な産油国なのです。

たくさん掘ってもらい大成功して、自給自足の石油を持てる国になりたいですね!!


石油蒸留釜

       ↑↑   石油蒸留釜 (弥彦神社)





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「ヤシオツツジ」がそれです。
鬼怒川温泉から車で北に 約1時間   月山(がっさん)1287mという山があり
その東斜面に5月になると一斉に花開きます。    見て来ました (^O^)/

街中で見るつつじは鮮裂な色という印象がありますが、栃木県の花である
ヤシオツツジはどちらかというと、穏やかなつつましさの美しさ といって良いでしょう。
決して派手ではありませんが、それが群生しているとこれは見事なものです。

ヤシオツツジは県の花になっておりますが、この名称はアカヤシオ
シロヤシオ・ムラサキヤシオ というツツジの総称だそうです。

ヤシオツツジ(アカヤシオ)が花開くと日光連山の長かった山の冬が
やっと終りました  という大自然からのサインでもあります。



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日光江戸村で新しいイベントが披露された。
「吉野太夫 東下り」 と題する道中もので、太夫が京都から江戸に来るまでの
賑やかさと華やかなものだった。

今まで開催されていた花魁道中も続行するというので、観光客の皆様は
喜ぶことでしょうね。

太夫は最上位の遊女のことを言う。
花魁道中は江戸吉原で正月や8月1日、京都島原では4月1日などに遊女が
盛装して廓(くるわ)の中を練り歩いたことを言う・・・という様なことはどなたでも
分かっていることと思いますが・・・
吉原というところはどんなところだったのか浅田次郎の著書 「天切り松 闇がたり」
からちょっとご紹介しましょう。

浅草の北里(ほくり) 日本提の南に位置する吉原遊廊は、大正のそのころにも
大小二百七十 余軒の桜と、二千人の娼妓を擁していた。


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廓は外界の日常から画然(かくぜん)と隔たった場所である。
幅一間の『おはぐろどぶ』で囲まれた南北 百五十間   東西 二百間に
及ぶ巨大な遊里の内側には、江戸の昔と少しも変らぬ時間が流れている。

見返り柳を左に折れて衣紋(えもん)坂を下ると、じきに鋼鉄の大門が見える。
大門からまっすぐ延びる仲之町の両側の軒に、そろいのちょうちんをかけつらねた
引手(ひきて)茶屋が立ち並んでいる。

まるで助六の舞台そのまゝだ。
どの建物も各階に石造りのベランダをめぐらし、ぐいと張り出した軒先に色とりどりの
ちょうちんを下げている。

普通の西洋建築の倍はありそうな高さの軒(のき)はそれぞれの建物の
意匠は異なっているが、どれを見ても外界にはありえぬ奇妙な形をしている。

仲之町の並木道に6本の街路が交叉し、そこから更に複雑な路地に岐(わか)れ
二百七十軒の遊廓は無数の櫓(やぐら)を備えた。

迷宮の様に、ぎっしりと時間と習俗の砦をきずき上げている。
吉原とはそういうところだった  (以上)

今はそんな別世界はもちろんありません。
2000人の遊女達のほとんどは全国から生活苦にあえぐ家庭から女衒(ぜげん)の
手によって買われて集められた女性達です。
地方の方言を客に聞かせない為に「ありんす言葉」が生まれた という説もあります。

2000人の女性には、2000人の艱難辛苦(かんなんしんく)の物語りが
ひとりひとりにあったのでしょう。




 

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いったい何が原因で、こうも値上げが続くのだろうか。
食用油、バター、コーヒー、ティッシュペーパー、牛乳、醤油、チーズ、パン
パスタ、小麦粉  等々 毎日値上げの告知のない日がない位ですね。

今日の値上げの商品を聞いた時のショックは大変でした。
永遠のヒット商品 「亀の子たわし(束子)」も値上げになります という記事です。

記事にはこうあります。
原油高で束子メーカーは、18年ぶりの値上げを余儀なくされた。
亀の子束子 西尾商店(東京北区)は、このほど亀の子束子の価格を値上げした。
上げ幅は10〜15%  標準品の「1号」は12%増の294円となった。
   
値上げは1990年以来 18年ぶり。
スリランカの工場から取り寄せるヤシの実を乾燥させた繊維を使った半製品が
前年より30%上昇  輸送費、現地の人件費、たばねる金具も15%増になったという。

ホテルではこの「たわし」は、よ〜く使うのですよ。
もちろん食器、鍋、釜を洗う時にです。

「亀の子束子」は確か日本で発明されたものだと記憶しています。
料金のことは正直あまり気にしたことがありませんでしたね。
つまり我々にとっては、超 優良商品だったのです。
鶏卵も長い間 値上げしない優良商品でした。

それが、こんなことでは全く困ります。

福田総理は先日の園遊会のあいさつで 『値上げはしょうがないですな』
なんて他人事の様なことを言っていましたが、どうなんでしょうねェ。

ずぅ〜とこのお人で良いのでしょうか。

全く困ったことです。


 


ぜんこうじ 4


北京五輪 聖火リレーの出発地を辞退した「善光寺さん」に良かったな 
と思うところと、はてな??という思いがありました。
理由を書く前に自分の無知蒙昧を恥じるところから始めないとイケません。

私は神社仏閣が好きで千社札(せんじゃふだ)を全国に貼って歩いたりしております。
もちろん善光寺さんにも、昔 小さい札を貼らせていただきました。

善光寺に「さん」をつけるのは、以前 長野県大野市にありました
大町ニューオータニを担当していた時、長野の人々は尊敬を込めて「さん」付けで
呼ぶので、こうなった次第です。

今回のことで善光寺さんをちょっと研究してみましたら、この寺は一宗一派の寺では
なかったのですね。
山号は定額山。 本尊は阿弥陀如来。
古くから特定の宗派に属することはなく (ここが大事なところです)独自の
信仰的存在 として信仰を集め、結果「善光寺詣で」 という言葉まで出来たとあります。

無知と恥じたのは、このことであります。
出発地を辞退した理由に、チベットは同じ仏教だから という言葉がありました。
仏教だからそりゃその通りだろうが、宗派が違うのではないのか・・・・と思ったのです。
それが違っていたのです。

特定の宗派に属さない寺というのがあったのですねェ。
他にあるのでしょうか、別の興味が湧いて来ました。
しばらくこの線の研究をしてみましょうか。

因みに善光寺さんの現在は天台宗と浄土宗が「共同」で管理している ということでした。

「善光寺」という寺が甲府にあり、山号を定額山 というそうです。
山号は一緒ですねェ〜。
武田信玄が前記の善光寺さんから本尊を移した寺ということですが、ここは浄土宗の寺!