最近の記事

カテゴリー

月別アーカイブ

最近のコメント

最近のトラックバック

リンク

ブロとも申請フォーム

ブログ内検索

RSSフィード

ホテル前の道路(東武鉄道も含めて)が会津西街道であることを長い時間 説明してきました。
西街道の歴史の中から『戊辰戦争』という出来事をとり出して、私のホテルにあります
鬼怒川を中心にその動きを探ってきました。

先回の「其の10」で『戊辰戦争』は語り尽くしたのですが、ここにきて気がついたことがあります。
それは、この戦争に当の下野(しもつけ)の国の住人 すなわち栃木県人がどこにも姿を
見せない、つまり登場しないのです。

もっと言いますと当事者ではなかったのですね。
当事者ではなかったとはいえ、そこは幕藩体制ですら藩主は新政府軍に味方するか
会津幕府軍に味方するか、旗色鮮明にしなければいけなかったでしょう。
その結果は別表の通りです。「賞典禄あり」が勝者です。

20080110142807.jpg


二次にわたる今市(いまいち)の攻防戦にしても今市を占領した藩と会津軍の戦いであるし
日光の戦いと言ったって日光山の神官・坊様は皆 江戸からの出向者ですよ。

戦争についてまわる悲惨な人達がやはりいます。
それは街道添いの村からかり出された若い農民であり、鉄砲を撃てる猟師達でした。
今から140年位の年月を経た戦争ですから、歴史としか見ていませんが戦争はイケませんなァ。

最期に・・・

「戊辰秘話 日光山麗の戦」の著者 田辺昇吉氏は鬼怒川のことを次の様に書いています。

“戦史に残る鬼怒川温泉”
渓谷美に包まれた温泉郷。東京の奥座敷として喧伝される鬼怒川沿いの一帯を踏査して
いまゝで想像もしていなかった戊辰戦争の激戦がここに展開されたという歴史的事実と
それに付随した多くの遺跡が残されているのを発見して、私は感無量であった。

私がこの辺りを歩きまわったのが昨年の正月(昭和51年)であったが、雪のないこの年の
鬼怒川温泉郷は山ふところに囲まれておだやかな正月をむかえていた。

旅館の湯の中からばかり見ていたこの温泉郷を初めて外からながめながら、私はこう考えた。
『観光客が湯治の合間に附近の古戦場を訪ねてみたら、旅の想い出も一層豊かなものに
なるのではなかろうか』と昭和52年

「戊辰戦争」を読んでいただきありがとうございました。

どうぞ当ホテルにお泊りいただき歴史を探索なさってはいかがですか?

<< 「不可思議 or 不思議なこと」 | ホーム | 「会津西街道」 其の10 >>

コメント

コメントの投稿

URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 

トラックバック


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)


 BLOG TOP