
木喰(もくじき)上人と云えば円空さんと並んで「微笑む仏」という連想になるが
それらとはちょっと違う「木喰仏」を見つけてしまった。
見つけたと言ったって発見した訳ではありません。
我が社から会津西街道を約40分車で走ります。
たまたま街道筋で見つけた看板を見てビックリしました。
「伝 木喰仏坐像(木造)」という碑が立っていたのです。
若い頃から木喰さんと円空さんが好きで出張した時等
よくそんなお寺を訪ねたものでした(*´艸`)
場所は日光市藤原町独鈷沢という村です。
「独鈷」という名前も弘法大師空海さんに因んでいるがこの話はまたの機会に……
さて木喰五行明満上人(もくじきごぎょうめいまん)が63才の時、
北海道の江差からこの地に来ました。
出生地は甲斐(山梨)の人です。
私の生まれた北海道の西海岸は大昔、海南の霊場といわれる禅寺があり
遊行僧達の修行の場になっていたとあります。
円空さんは1666年、木喰さんは100年後の1778年ごろに
この地で修業をしていた。
1780年木喰さんは弟子の白道(びゃくどう)を連れて東北を南下し
9月なかば山王峠を越えて上三依(かみみより)村に達しました。
上三依村は現在は日光市藤原町です。
独鈷沢には十王堂と呼ばれるジミーなお堂があります。
自治区長の山口さんにお願いして中を見せてもらいました。
木造の十王像が9体と「しょうずか婆」の像が一体安置されております。
以下 藤原町教育委員会発行の「藤原町の民話と旧跡」から引用します。
十王は、人の死後、生前に犯した罪を裁く冥土の十人の裁判官です。
したがってここでは一体欠けております。また、しょうずか婆は
ご存知の三途の川で亡者の衣類をはぐという鬼婆です。
十王堂はこの両者を対にして祀った供養塔で、人々の信仰や道徳教育に
大きな役割りを果たしてきた。
以上
「しょうずか婆」とありますが、これはこの地の方言でありましょう。
正しくは「葬頭川婆(そうずかばば)」と言います。
同義語で「奪衣婆(だっえば)」とも言います。
今日は兵庫県名川町、東光寺の葬頭河婆と
我が社の近くに「伝わる」しょうずか婆を比べてご覧下さい。
東光寺の葬頭河婆
我が社の近くに「伝わる」しょうずか婆
― つづく ―
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