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「米騒動」という言葉や、それがいつ頃の騒動かとも知っていた。
しかしこの騒動が富山県魚津市で起きたことが「事の発端」というのは知らなかった。

7月23日(水)の日経新聞の文化欄に奥野達夫さん(南砺市立福光美術館長)
という方の記事が載っていた。

今からちょうど90年前の大正7年(1918)7月23日の早朝、漁師達の女房40数人が
浜に集まった。

沖には北海道への米の輸送船 伊吹丸 が停泊していた。
政府のシベリヤ出兵の決定で米の投機熱が高まり米価はうなぎ登りに上がった。
一升が45銭まで上がった。男の工賃が50銭のころだった。
漁師は激しい肉体労働だ。米騒動

一升飯の弁当を持って沖に漕(こ)ぎ出すが家族は雑炊でしのいだ。

米の値が上がるのは
目の前の船に米を積み込んで
他所(よそ)へ持っていくからだ と
はしけ船に米俵を運ぶ沖仕達の作業を
女達は実力で阻止。

船は空のままむなしく出港した。
これが米騒動の始まりである。

これから前後して1道3府32県にも及び、数百万とも一千万ともいわれる人々が参加した。
軍隊も出動、責任をとり寺内内閣は総辞職し、初の政党内閣の原内閣が誕生した。


私は富山県宇奈月温泉に10数年赴任していたころ 魚津ロータリークラブ に所属していた。
魚津市には今だに友人・知人中には文化人と呼ばれる人も何人も知っている。
しかし彼等と幾度となく食事会や飲み会があった時一度も米騒動のことは話題に上がらなかった。

どうしてだろう、その答えは やはり奥野氏の文にある。

歴史教科書に必ず登場する米騒動を地元で話題にすることはタブーだった。
その理由は当時の利害関係者がそのまま存在していたことと、お上に盾(たて)ついた
という負の心情があった。
さらに、米騒動を過大や過少評価したり、発生の事実関係の論争が続いてきたり
したことも作用したようだ  とある。

それにしても現在の状況とウリふたつと思いませんか。
ガソリンが欠乏しリッター200円になんなんとしている今、インド洋にまで出かけて
桁(けた)を聞いたら目が飛び出す様な大量のガソリンを只(ただ)で他所の国に
差し上げているのですょ。

間もなく今の政府も同じ轍(てつ)を踏んで政権交代になるのすかねェ。
歴史は繰り返すと言いますが本当ですね。


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