
北京五輪が終わりました。
眠い目をこすりながら見た開会式に感動していたら数日後、
口パクとかCGで作った花火のシーンとか いやはや やはり中国のやることですね。
今を去ること44年前の東京オリンピックの年に私は大学を卒業し
東京オリンピックの為に創業、開業したホテルニューオータニに入社しました。
昭和39年(1964年)10月東京の空にオリンピックの五輪がジェット機によって描かれました。
大会期間中は 当り前のことですが1,000室の客室は満室でした。
選手が滞在する選手村は代々木にありましたので ホテルは一般のお客様でした。
当時、国際基準のホテルはニューオータニを含め東京には4〜5軒しかなかったと記憶しています。
今日は「オリンピックの終わったあとのホテル事情」の話です。
オリンピックの熱の冷めた11月ころ 宿泊客がいない日が続きました。
ある日 こんな指示が客室係りに届きました。
午後6時になったら全客室のライトを点けよ というものです。
消灯(?)は午後の10時でした。
現在では超高層ビルを見慣れて おいででしょうが当時
ホテルニューオータニは都心でも抜きんでて デカイビルでした。
そのホテルが真暗闇では世間体が悪いということだったのですよ。
経営的にも苦しいオリンピックのあとでした。
「札幌冬季オリンピック」の時、現在の「ホテルニューオータニ札幌」が開業しました。
日の丸飛行隊 等という名のついたスキージャンプ陣が頑張ったあとの札幌は灯の消えた街になり
ホテルも再度の賑わいをもどすのには4〜5年かかりました。
さて
北京オリンピック終了の次の日(25日)の日本経済新聞の記事に
北京市内のホテルの稼働率は大会期間中 最高級の5っ星でようやく
80% 3っ星以下では50%以下 新築ホテルでは経営問題も云々と
あります。
おそらく3分の1は廃業になるのでは と、私は思います。
当時真っ暗闇の廊下を部屋のライトを点けに走った時のことを思い出し
「宴のあと」の厳しさをつくづく感じる今日でした。
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